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59: 確からしいことを記録する

September 25, 2013

jp

公開時のURL:https://hmsk.hatenablog.jp/entry/2013/09/25/025248

 日記にそのタイミングで思っていたことを記録していても、後でそれを見た自身と通じ合わないものがある。時間の流れで自身の考えが変わってしまうというのもそうだが、その時表現した文字列だけではその時の情報を正しく記録することが出来ていないというのがありそうだと、会社を辞めた時に思っていたことの記録が全然嘘くさくなっているように見えてから気づいた。

 感情を記録するのはとても難しい。それを後から読むタイミングでは、入出力共に同一人物といえど受け取り方に誤差が生まれていて、思い出す時に美化なり卑下なりを差し込む隙が出来ているように見える。

 あれ?「いくつか理由を話しているとどれも心底そう思って説明出来たかどうか不安になるので、これだと言い切れる理由は持っていない。」だったんじゃないっけ?なんかもうほぼひとつだったんじゃない?表向きの記録に残したそれだけでは情報足りないよと1年前から毎日ちょっとずつ自分がずれていって、もうすぐ脱線するくらいレールの間が離れてきているように思えてとても不安だ。その時の感情的なスナップショットを残すことはとてもとても難しい。

 と残しているこの文も相変わらず冗長だ。

感情を割り出す

 多分感情的なそれをまだ記録出来る力量がないか、そもそも人間には無理な話だと思える気もするので、感情以外の情報を最大限残すのが良さそうだと直感した。ただ、僕の視界を全てGoogle Glassで記録して、その日どう思っていたか録画を再生することで取り出すのは微妙そうだ。(追体験するのに24時間ビデオを観たとして、それを観ている僕の今日のビデオ観た未来の僕はどうなるんだろう)

 こういうログみたいのってどう表現するかみたいなのに引きづられるので出来る限り自然な姿で入るというか、きっと標識とかカレンダーとか出力は事実だけを示していて、入力に専念出来るものであった方が良さそう。パンチカードやグラフとかは多分便利なんだけど変数が1つ2つに絞られる面で感情を事実から思い出させるのにはうまく機能しないように思う。せいぜい記念日だとかその日のイベントが分かっていて前後関係とかも概ねそれらが見渡せればいい。そういう意味で過去方向のカレンダーはストレージとしての優秀さみたいなのを感じるところがある。カレンダーはほとんど未来を見る用途である場合が多いのにね。

 それぞれの日の特徴的な行動等を把握出来れば僕から具体的な感情の情報を再生成出来るんじゃないだろうか。走り書いていてどこが矛盾したかはわかっていないのでまた読み直すとするとして、Everpixが毎日送ってくれる1年前のあなたのアップロードした写真の万能さに思う事がいっぱい出てきたのでメモとして。

 九州にまだ住んでいた頃、上京の度に泊めてくれていた友人宅で、友人のお母さんが「あなた、去年も同じ日にここに来たのよ」と5年だったか3年だったかの連用日記に当日分を書きながら言ってくれたのがとても印象に残っている。見せてもらった小さな枠には僕が訪れたこと、僕のその時どう振る舞っていたかがちょっとだけ記されていて、そこから「たしか、あの日はチーズフォンデュだったわね」と書いていない話まで拡げられたことをEverpixが思い出させてくれた。ただ、本当にチーズフォンデュだったか、僕がその時どう思っていたかはもう今の僕にはわからない。家庭でチーズフォンデュをする図を人生初めて見た衝撃だけが全部を歪めているように思う。