77: 全てのユーザに同じ価格で良いのだろうか
April 28, 2016
公開時のURL:https://hmsk.hatenablog.jp/entry/77
3月の3連休の頭から1ヶ月程を日本で過ごした。灰色ハイジの部屋に居候させて貰いつつ、それぞれの実家に挨拶などそっちのあれこれについては別で書くだろうとして、東京で久しぶりに朝起きて会社に行って夜に帰るという生活をほぼ全ての平日で繰り返した。これが一生繰り返すのかと気が遠くなる瞬間に過るのは、これを受け入れていたのがかつての社会人であり、年功序列ナントカや終身雇用ナントカの世界なんだろうかと思うと、それはそれで敬意を払うしかない精神力の持ち主達だったのではないだろうか。父が四十数年の勤続を終える時に立ち会った時はよくわからなかった。だいたいこういう時には、彼らは何かが残念な世界に居て、思考停止していたなんて馬鹿にしたように思い込むと後で痛い目を見てからやっと違うことを理解するのが常なので、その時々で背景上何も残念なことはないし、何か苦しみが違う箇所で存在したのだと思う。
何と競合し、何を提供し、誰から対価を得るか
かつての同僚。という言い方をしてしまうと偉そうだが、かつて居た職場でIRを担当していたお兄さん的な人と食事をする機会があって、その時の話題を今も頭の中で引きずっている。
例えばお金を支払うサービスをやっていたとして、ユーザが経済的に満たされているとは言い難い状況を前提とすれば、同業種よりも可処分所得を他の分野の違う何かの方が競合と呼べてしまう。まあ当たり前の話ではあって、競合の定義というか抽象度がひん曲がってるだけなのだが、ファッションアプリは女子会1回分や欲しいチャット用スタンプ群と戦うのだと聞くと、そのファッションアプリが他の(本来競合する)ファッションアプリに勝ってますと言った先にそもそもユーザに経済的な余裕がなければファッションアプリが使われ得ない可能性すらある。単純に同様のものによる競合の中で1番になるサービスを作ればいいだけの問題ではない。そう理解までは出来ても、子どものお小遣いかのように限られた可処分所得の中で、どんなに他を削ってもスタンプは皆買うなんて話を聞くと胸中がざわついてしまう。その売上の一部が自分の給料の元手の内訳に少なからず(もしかしたら大半)含まれていることを思うと尚更だ。
意図してこの話と組み合わせたわけではなさそうだったが、僕たちが一緒に居た職場で作っていたサービスにおいては、「作っている側」と月々数百円を払う「使っている側」での可処分所得の差が何倍以上あって、意図しなくてもその構造を増幅させるのを目的としたビジネスというのは本当にこれでいいのだろうかみたいな話題もあり、次にどんな職やサービスに携わろうかと考えることが増えた中で、出来ればそういう疑問に立ち会わないところを選びたい気にさせられてしまった。
正直個人相手のサービスがこういう文脈で得意ではなく、BtoBのようにお互いが対等にお金とサービスを交換出来ているかという点が、BtoCになったら大きく歪んで対等が何か全くわからないものとなって考えたくもなくなる。いつだったか、コンサルだかどっかで十二分な給与を受け取っていたであろう上長がプレミアムサービスに300円くらい皆払うやろと軽く放った言葉にとても激昂し反発した覚えがあったのが、そういった否定をするのが下手になっていることに気づく瞬間が度々あり、同じようなことを放つようにはなりたくない意識だけは辛うじてあるものの、放たない自信はもうない。きっと学生でウェブサービスを触っていた頃から少しずつ変わってきたんだろう。何かを我慢しなくても良いなと思ったものにお金を払えるようにはなったことは大きい。ウェブサービスも累進課税みたいな感じの利用料になればいいのだろうか。
改めてどんなサービスに携わりたいかを考えると、自然にBtoBやCtoCもしくはユーザから直接お金を貰わないものを選ぶ傾向が見受けられてくる。今やっているのもBtoBといえばそうなのだが、提供先がBだけでなくCの側面もあり、カスタマーサポートに触れる度に緊張と戦うことがあり、ひどい贅沢だが僕がフェアだと信じてやり取りが出来るお客さんにだけにちゃんとサービスを届けたいものだと度々感じる程度にはカスタマーサポートや客商売には本当に向いていない。儲けられることがわかっていても実行出来そうにない性分ではマネタイズにもきっと向いていない。
この元同僚と職場が同じだった間の僕はIRに直接的な関わりはなかったけれど、影響知らずに予算大節約のインフラ環境構築をやって上方修正の手間を取らせたり、寄稿した本が出た時には何冊か購入してIR関連で配るみたいな話で声をかけてくれていた人だった。今はスタートアップのCFOらしく、自分とは全然違う側面からサービスがどうだという話を真っ直ぐ話してくれて、真っ直ぐ聞いてくれる相手にとても有りがたく思ってその場を閉じたものの、未だにもやもやしている。