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87: 自惚れられない癖

October 7, 2018

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公開時のURL:https://hmsk.hatenablog.jp/entry/87

ちょっと調子に乗ると大抵良いことはない、自信をみなぎらせて何かを誤ると滑稽であるという直感に根ざして、自分のベースの心理的安全性が低くなることにはほとほと呆れるものがあるが、一生脱せないものであることもわかっている。まあ、主に英語の話だ。おかげさまで未だにLinkedInでのEnglishに対してのLanguage欄は"Limited working proficiency"を示している。ひとつ上の"Professional working proficiency"にしてはどうかと2年前の就職活動の時に勧められたこともあるが、これはこの言語と向き合う時間が増えるほど簡単に上がらない気がしている。「完全に理解した -> チョットデキル」の図式と同じなのだろう。

「これ、3年くらいは辛いんだろうな」って、2年前の入社直後に書いていたのを偶然(とうとう閉じてしまうPathのログをエクスポートしたら)見つけて、割とあたっているようだし、もう1年辛いことが辛い気持ちになった。

そこかしこに成功体験はある。ミーティングをうまくやり通せた(やり過ごせた)とき、レトロスペクティブで言いたいことを言いのけたあと、ぱっと声をかけられ求められたヘルプに口頭で原因と解決方法を提示など、これ気分良いなというのはその後数時間か数日ほどは、その手触りを反芻して「完全に理解した」を味わうのだが、早々にコミュニケーションに失敗したり、他者から言語上の問題で気遣われたり、避けられたという状況に直面してまたリセットされる。こうなることへの恐怖心が強く、いつまで経っても我が物顔で第二言語を発せないのである。スキルがあるとは言えないものの、そういったことを何も気にせず話せていた知人たちを時々思い出して羨ましくなる。しかも、そういう人ほどこういう渡米をして全く新しい社会で暮らすことには向いているので、何故自分がこんな向かないことをやって、この歳で毎日恐怖をふんだんに味わっているのを俯瞰して笑えてくる。

自分には強制的なそういうやつがないとすぐ怠けるのでと、しんどいのうって思いながら生きることにしている。

残業代みたいな昇給

本人とは裏腹に上司や一部の同僚は僕に対してとても前向きである。というよりは、彼らはあまり言語について問題視しないのである。先の記事で2年が過ぎたと書いたが、その後半期の査定があったようでありがたいことに微々たるものだが昇給して貰えた。聞くに評価の部分は、通常業務上では言及がなく、僕が追加でやりたくてやっていたこと(デザインシステムの構築やコンポーネントライブラリの提供)が全プロダクトチームに良い影響を与えるものであったが故であった。例外的なものらしくそれを強調された(VP of Engineering から近くの個室に連れられ堅く握手をされる)が、いわゆるタイトルの変わるプロモートではなく、「これ放置して先に進むの?」みたいに言うのが苦手で、個人の時間で対応していたことが業務として観測されただけという解釈も出来るのでどうも素直に喜びづらいものでもあった。

好きにやった何かが評価されるのはありがたいので是非次のAnnual Reviewにはもうひとつ何かやって、タイトルを上げてもらって年収を200万円くらい載ることに飛び跳ねて喜んで、VPoEにハグでも求めたい。といってもまあ、前述のコミュニケーションがネックで自分のタイトルが頭打ちしている感も否めない。

最近はフロントエンド大臣みたいな状態になってきていて、次はとうとうプロダクトの顔であるところのキャンペーンページの表側をまるっと書き換えるプロジェクトをリードすることになったのだから、結果にあやかりたいものである。既に2度ほどやったステークホルダーでのミーティングでは破滅的な発語を繰り返していて、このクォーターを乗り切れる自信がない。