89: 余計な感情や期待を持ち込まない
August 11, 2019
公開時のURL:https://hmsk.hatenablog.jp/entry/89
勤務先に大きな変化があってから、結構な数の同僚と道を分かつことになった。代表の変化に合わせて、自身たちの変わり目となっても良いかという空気感で、毎週のようにお別れメールを見ることにも少し慣れてしまった。気づけば自身が入って拡大していた頃の開発チームは5倍くらい小さい規模となり、新たな立ち回りがそれぞれに求められ直すこととなっている。
その結果、とうとう自分に降り掛かったのが採用で、毎日採用システムのSaaSから届く通知に目を通し、レジュメを読み、GitHubのアカウントを這い回ることとなった。コーディング面接にも立ち会うようになり、個々の応募者についての評価を書き下すことに時間を割くのは精神的な相性が悪く、本業の生産性も著しく低下しているのが分かる。
公にするような形で人を評価するのが苦手なのである。評価をする瞬間に、自身は果たしてその評価基準を満たせるのかという考えがつきまとい、平気でその人のミスや期待への不一致を並べることが出来なくて都度苦慮している。更にきついのは、今も過去も同僚が応募者に下してきた評価をシステム上で見られることであった。何かを指摘した同僚のあまり褒められないコードや振る舞いを普段から十分に見ている自分からすると、何故それを普段満たしていない人物がそれを出来ない人物に対して評価を下せるのか理解出来なくてひどく落ち込んだ。
つまるところは立場を分離出来ていない自身の問題であって、会社として何が必要かに対して、評価者として振る舞うのだから、面接官がそれを満たしているかどうかは直接は関係する必要はない。きっと、変わり目や個人の必要性に応じて、会社への不満をオープンには残さず明るく去っていく振る舞いと一環していて、あくまでも会社との結びつきは契約上のもの、面接はチームで立てた要件を満たしているかどうかを確認するもの以上の何かには変容させていないのだろう。採用してくれた恩がとか、永住権取って早々辞めるのは感じが悪いとか思っている場合では無さそうだ。
幸か不幸か自分自身が応募し、面接を受けた際のデータにはアクセスする権限がなかったが、同じように何か言いたい放題言われているのかと思うと全部見てしまって楽になりたい気にもなる。面接官が集まり採用/不採用の決定を下した後に、「まじこれしんどいっすね。自分の見たら多分死ぬ」と発したところでSVPoEからすかさずコーヒーに誘われてケアされ、これも感情とは違うところの意思決定で動いている部分があるのだなあと感心した。
人を評価している時、自身も評価されているのだとはどこかで聞いてどこかで分かっていたとは思うのだが気の引き締まる思いがした。と、同時に採用プロセスに関わることで、安易に他社の採用プロセスを通過出来るといくらか過信していたものが吹き飛んだ。