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93: 住めば都

September 12, 2020

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今のアパートに越してきてから最初の更新にサインをした。この国で暮らしていて初めて家賃の引き上げがされず、契約書の上では同額でのステイとなった。これに1ヶ月分の Concession というやつを付けてくれたので、実質は月々の家賃が数百ドル引きとなり、現状の暮らしで様子見をもう少しするかという気持ちを増長するのには十分な条件でサインに至った。更新手続き当時の6月は、コロナ禍にあたって収入が少し減る状況にあり、張り切って交渉するつもりでいたが、こちらが準備していた数字よりも先方からそれを下回る数字を出されてしまい、ただ提示されたものに飛びつく結果となったのだった。その後収入は戻り、なんなら最近は更に増える形へ好転したので全て丸く収まった気がしている。

貸す側にとっても、借り手が去ってしまわないよう市場を鑑みたいものの、ドラスティックに数字を変えることにはネガティブで、改めて状況が回復したときに引き上げるというのを避けたかったのだろう。

ほぼ満室だったこの建物からも順次出ていく人が視界に入る。街の中を移動すると、引っ越しのトラック、それも出ていくであろう作業をしているシーンをたびたび見かける。更新のタイミングがもう少し遅ければもっと良い条件にありつけたのではないかと思わないこともないが、もうこれ以上アパートの考え事に自分のリソースを割きたくない。退去が少なくとも1年延びたので、意気揚々と壁に穴を穿けて棚を設置してから考えることを辞めにした。

暮らす場所を選ぶ

サンフランシスコで暮らしていた友人夫婦がニューヨークへと移っていった。

彼らのこの意思を聞いたのは、具体的な日取りが決まるよりも結構前で、Shelter in Place が唱えられるまさに前日、マスクをせずに一緒に昼食へ出かけたときのことだった。そのときは相当びっくりしたというか、前提を自分の身に置き換えて想像する限り壮大な意思決定をしていることに感心するばかりだった。2年ほど前にニューヨークを訪れて2週間弱を過ごしたときの印象の中では気に入っていた場所でもあり、そこで暮らせることを羨む気持ちもあった。発達した都市が元来好きなのだ。東京と同様、発達の極みのひとつでもある。

その意思決定を聞いてからのしばらくは、サンフランシスコで暮らし続けることについて改めて考え直すこととなったが、この土地やこの気候が気に入っているので、ちょっと社会が変化したくらいで離れるほど思い入れがないわけではないというのがいまの時点での答えとなった。東京を離れてから精神的に得たものを多く認識していて、同様の大都市に戻ると簡単にこれを失ってしまうという感覚はもう少し大事にしたい。

ベイエリアが、シリコンバレーが、と世に強い印象のある土地を貶めたりする声や事実出ていく人の報には悲しい気持ちになることもあるが、住めば都というやつで気にしない部分がおおく 、あまり同意できる意見には巡り合わない。もうしばらくして、やっぱりこの土地は良かったと誰かが言い出して戻ってくるなんてことがあっても、嫌々暮らしていた人が引き続き出ていって家賃が下がってくれるのもどちらでも歓迎したい。

それにしてもこの状況が疎ましいのは、国内旅行ができないことで、行ったことのない他のアメリカの都市を訪れられない1年を過ごしていることには少し疲れてきている。今年の空港利用は年初に日本から戻ってきたときと、メキシコのカンクンを訪れたときで全てとなりそうだ。