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95: ホームブリューログ

January 20, 2021

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この状況の中で辛い思いをしている人が沢山居るのもわかっていると、こう発することも憚られるが、2020年は個人的にとても実りのある年だった。暮らし方が一変してしまったことに早いうちに諦めがついたのだと思う。外出がなくなったこと、他人との接触が忌避されることは、生活上の例外的なイベントをことごとく防いでくれて、自分に与えられた時間がほぼそのまま使えることになってしまったことが大きい。

自宅で考え事や自分のことに使う時間がまとまって得られている分、新たに始めた、定期的、継続的に取り組むことがどれも続いてしまって、これ以上の余地を持ちにくくなっていることが悩むくらいになってきた。

うるう日だったからと理由をつけて始めたポッドキャストはそのままお蔵入りになりそうだったのが再開と継続がうまくいって公開できた。リングフィットアドベンチャーで取り組んでいた運動もほぼ毎日続いた(最近は飽きてしまい途切れがち)。仕事以外でほぼ毎日何かしらのコードをコミットするのも以前から引き続き。小さなことだと、毎日草のことまで気にしている。

反面、失った例外が与えてくれたセレンディピティのようなもの、その瞬間の気分で起こしている例外(オフィスからの帰り道で視界に入ったビアバーに吸い込まれるとか)を本当に失って良かったと言えるかどうか、それが再び叶うようになった時に毒と思うかどうかはまだわからない。ただ、旅行に行けなくなったのはとても苦しい。

ホームブリューイング

新しく趣味を得ることは予期していなかったが、自宅でクラフトビールを毎月数ガロンずつ仕込むようになった。4年前に、当時の上司がつくったビール(重めのIPAだった。アートを学んでいる娘がラベルをつくってくれたという)をオフィスでふるまってくれたのが知識としての出発点。今年に入って、ベイエリアで暮らす知人が小規模な機材だけでつくっていることを目にしてから自分でやってみるまではひと月もかからなかった。かつての上司に先月連絡をとる機会がありビールの話をしたら、既に自分の方がバッチの数や製法においても先を行く状態となってしまったようで驚いた。

現在公開している動画は3バッチ目のものだけど、その動画を編集している今はもう6バッチ目の発酵が始まっている。ひとつのバッチが終わるまでに1ヶ月強がかかり、その間のほとんどは「待ち」だけなので、調べ物以外にすることがなく、バッチを追うごとに増えた知識で新しい手法、機材、レシピに挑戦するサイクルがうまく回っている。一気に大きなことをやるのではなく、ひとつずつ違いを加えて覚えていくことを意識していて、新しいソフトウェアの技術を身につけるときの仕草みたいなのが活きる部分もある。まだ1年も経たない中での感覚ではあるが、ソフトウェアで取り組んでいるプロジェクトよりも脱線しにくく、自分との相性が良いように見える。

テキスト以外の新しいフォーマットでのウェブ上での継続的なパブリッシングをポッドキャスト(音声)に加えて動画まで同年中に達成してしまったのは思わぬ収穫だった。おかげで、YouTubeに動画を公開するというのはどういう手続きで、公開した者として何を感じるのかというのが通しで体験できているので、実践的に触れてみる機会を得られて良かった。YouTuberとされる人たちを見て、彼らのことがよくわからないままにしなくて済んだ。ただ、とにかく動画の編集が面倒くさいことに尽きる。