Rubyist近況 Advent Calendar 2021 15日目
December 15, 2021
« 14日目
Rubyist近況 Advent Calendar 2021 - Adventar の12月15日を担当する記事です。
大勢の Rubyist たちと会えた最後の機会は 2019年春の福岡での RubyKaigi でした。2009年の参加から、翌年以降は当日スタッフやオーガナイザーとして楽しんでいたお祭りが途切れてしまい、毎年の開催で時間の経過を確認していたので、ここ2年の間は、いま西暦何年なのかわからなくなる時がありました。
この記事では 2020, 2021 と in-person で会場で Rubyist にお会いする機会があったら話していただろう近況を話題ごとにごちゃっと書き残しています。次にまた会場や川でお会いして話せることがありますように。
レイオフ
RubyKaigi のために日本に滞在した時の記憶には、いつも会社のレイオフの思い出がつきまといます。
2016年から2020年まで勤めていた会社では、毎年いくらかの集中的なレイオフが行われていて、RubyKaigi 2018 のスタッフの打ち上げのN次会にいる時に、不穏なミーティングの招待を受け取り、その場に居た角谷さんと「ダンボールにデスクの荷物詰め込んでオフィスを歩くみたいな映画で見たことがあるアレな感じするんですよねー」と軽口を叩いたのちに、滞在するホテルで迎えた午前2時 (会社の現地時間で午前10時)になって出席してみたら、今日から居なくなった同僚の名前が一覧されたスライドが目に飛び込んできて肝を冷やすなんてこともありました。
2019年の福岡開催の翌月5月のやつは、CEO も入れ替わり、創業者 CTO も外れ、100人近く居たはずの組織は50人を割る大規模なものでした。
週に一度の全社スタンドアップの場へ赴いたら、会が始まらず、代わりに一部の同僚たちへ主題の明記されないミーティングへの招待が届き、各々がスマートフォンに視線を落とします。このあたりで勘が良い人は、レイオフのアナウンスであると悟り、呼び出されたものが該当者であるか、ここに残された者がそうであるかを予想するために、周りの顔ぶれを伺い始めます。とても会社に貢献していた上司が部屋を出ていったところで、僕も自身のレイオフを覚悟するしかありませんでした。アメリカの永住権取得プロセスの最後の面接を翌月に控え、クビになると様々な手続きが振り出しに戻ってしまうのもあり、たまったものではないなあと頭の中でこの後どうしたら良いかを巡らせるばかり。
隣にいた勤続の長いエンジニアが、招待された面々の一覧を会議室のカレンダーで見つけたところで、サービス運営上にすぐに替えのきかない極めて重要なポジションに居るエンジニアが招待されていないことに気づき、呼び出された同僚たちがレイオフの対象であると結論付けた声をあげたところで、CEO が前に出て事情の説明を始めます。CEO 当人も居なくなることを伝え、次の CEO は明日現れるとされ、その日は休業日となりました。会の後にデスクへ戻ると、オフィスの半分くらいのデスクから私物が消え、会社貸与のディスプレイとキーボード、マウスだけが置かれただけの状態。僕のデスクには、同僚に先週貸したばかりの自作のスプリットキーボードが返されていて、本当にあの部屋に残れなかった同僚たちが解雇されたことを理解します。
今でこそ永住権を持っていますが、就労ビザの立場で RubyKaigi の度に日本を訪れる折には、もしかしたらもうアメリカには入れないのかもしれないと考えずにはいられないので、移民としての立場のことと RubyKaigi に参加することが強く結びついているのかもしれません。
1年をかけた転職活動
慢性的にレイオフを目の当たりにする会社、大幅に仲間を失ったオフィスでの寂しさから、転職を考えない人は居なかったのではないかと思います。レイオフに遭わなかった同僚も、直後の1, 2ヶ月の間にごっそりと居なくなります。僕はというと、永住権の取得直後という立場もあり、すぐに辞めてしまったりするのは望ましい移民の振る舞いではないので、本業では成果を出しながら少しずつ気長に準備をすると決めました。
自分の市場価格を確認するところからはじめて、本当に興味を持てるところ、(先方からアプローチしてきて会話は盛り上がったけど興味がいまいちでない会社など)面接の練習にするところへ、週1くらい面接が発生するようなペースでコンタクトを取っていきます。サンフランシスコという土地に住むからこそ満たせるミーハー心で、よくサービスを知るスタートアップへ応募をできるのがたまりません。例えば Notion, Discord, Figma, Netlify, Pager Duty, Stripe といった会社のハイアリングマネージャーと話したり、実際に面接をしてもらっていました。いやー、楽しかった。
最終的に転職を決めた先は、AngelList 上で僕を見つけてくれた Persona Identities という会社でした。10回の面接を経て、早口言葉みたいな英語を話す CEO との最後の面接が面白すぎて、オファーをふたつ返事で受け入れました。当時は創業2年を過ぎて40人弱、シリーズAから半年強、メンバーの多くが創業者二人のそれぞれの出身である Square と Dropbox から転職してきていて、平均年齢も30を切る若い組織でした。創業以来今でも一番コードを書いている CEO が出身の Square の流れを引いていて、ウェブアプリのバックエンドは図らずも Ruby on Rails。勤続1年を過ぎようとしている中で投資が2ラウンド起きてユニコーンというやつになり、人数は3倍ほどに膨れ、11月に育休に入るまではプロダクト開発に加えて採用面接に追われるばかりでした。既に自分が好む組織のサイズを越えてしまっているものの、この会社がどうなっていくか見たくてしばらく付き合いたいなという気持ちでいます。人事評価はせず、シニアだとかのラダーが無い(外向きに自由に付けてくれて良いと言われている)、なかなか我の出た組織で、(今は少し傾斜がかかっていますが入社当時は)新卒を除いたソフトウェアエンジニアの給与が全員一緒で、「お、キャラの強いスタートアップやっとるな」という気でいたら、創業者たちの今までの体験と誠実さから来ていて、どれくらいのスケールまでこれが通じるのかを見届けたくもあります。
コード
前職に入ってからは随分とプライベートでのコードをパブリックで継続して書けるようになりました。その前はスタートアップの一人目の社員みたいな立場だったのもあって、人生とサービス開発を重ねすぎていて...というのを言い訳にしてやりたいヅラをしていたのでした。それまで RubyKaigi や、勤めていたクックパッドやはてなに居た人たちが、オープンソースはじめ業務外のコードを書く姿を見て、こうありたいなあと思っていながらもやらなかった後悔をようやく拭えるようになってきました。前職でフロントエンドの基盤の刷新に取り組んだ関係から、Webpack や Vue の開発環境周りに始まり、その過程で検証した Elm をおもちゃにしたり、随分フロントエンドの方で何か必要になったものをつくっていることが多くなりました。最近は Rust と遊べる時間を少しずつ取っています。
アメリカで働くようになってからは、そういう人に出くわすことも珍しくなってしまいました。
ほとんどの同僚がいわゆる職業プログラマであり、職務に関係のないコードを書くのはとても稀。職種として成熟しているのだと思います。自分が採用をする立場になってからわかったことは、GitHub のアカウントを面接のために充実させているのはブートキャンプを出てくる人だけがするものになり、面接をする側としてもアカウントがレジュメに書いてあったら物珍しい気持ちで見に行く対象になっています。逆に現職で一人だけ同じような生き方をしている人に面接をしてもらえて、GitHub のアカウントが自分の代わりに多くを喋って評価を高めてくれることもありました。何か差別化の材料には出来るかもしれないけれど、必須の存在ではないのです。
ビール
パンデミックによる在宅期間を楽しむ趣味としてホームブリューイングを学び、自宅でビールをつくれるようになりました。現在まで9バッチ、およそ250リットルくらいのビールを醸造しました。
特にいっぱいビールを飲みたかったというわけではなく、IPA とかなんとか言うけどどれがどういうものかというのがわからないなー(その場で調べてもすぐに忘れてしまうなー)というのが出発点で、今ではブルワリーで見るメニューの解像度が一気に高まり、スタイル、ホップの種類、補足情報がそのまま理解できて、今欲しいものをストレートに選べるように(そして正しく悩めるように)なったのが大きな収穫です。
だいたいメジャーどころのスタイルは通ったので、独自のレシピやアドバンスドな工程の導入を楽しんでいます。