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97: それでは、また明日

December 31, 2021

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11月初旬に第一子を迎えた。第一子なんて書き方を初めてするけど、子が生まれる/生まれたというと、性別や命名に加えて何番目の子かというのは定番の質問なのだと投げかけられる側になって初めて知った。「最初だと大変」にまつわる属性を自分に付与されているよう。

予定日というやつは12月の2週目だったので、随分早まってしまって何となくの見積もりは何となくのまま薄らいでいって、目の前に何かが飛び出してくる毎に対応していたら2021年を終える時頃になってしまった。出産が早まったのは医療的な判断で、予定日まで待つことが母子にとってリスクが高いそうで、その時点での最善の選択だった。その週は、定期検診かつ最後のエコー検査がスケジュールされることになっていて、いざ妻がアポイントメントの電話を受けたら「当日の午後にでも来れるか」と言われ、さすがに自分直後の予定を変えることが難しいが、そのために検診をわざわざ遅めるほどでもないなと付き添いを諦めて一人行ってもらうことにして、仕事や家事をしていたら妻はそこから6日間戻ってこない結果となった。

夕方に仕事の区切りが見えたところで、そろそろ帰って来る頃かなと妻の位置情報を確認するとどうもまだ病院にいるようであった。検診が長くなることもあるのだろうと、様子を尋ねたら、追加の検査があり夜もそこそこまでかかるようだという。食材の買い出しや夕飯の支度をしながら続けてメッセージを送り合っていると、検査の結果が出るまで待つ必要があり、泊まることになるやもしれんと聞いた次には、数日以内に、いや今日この後には出産を促進すると状況が変わっていった。最終的に、夜10時過ぎには病院の救急窓口から入場をしていた。eKYCプロダクトを仕事で作っている性質上、検証のために身分証明書をデスクに置き去りにしてしまい肝を冷やしたが、真剣さと同名のクレジットカード群やワクチン証明を見せることでどうにか通してもらえた。

病室に着いてからは準備されていたかのような出産のフローチャートに流されるまま過ごし、翌朝9時になる頃には産声を聞いて涙を流していた。予防接種の注射で失神するほど苦手な針をいくつも、何度も射され、促進やチェックの度に痛みで悶え、朦朧としながら帝王切開の同意書に自分の意志でサインをさせられる妻と、その横でパートナー面しているだけの自分の対照的な姿に情けなくなる。帝王切開に立ち会っているときは、産む機械みたいな言説を思い出して、こんな大変なのによくそんなこと言えるもんだなと無用に憤るくらいに心身共に健康で、この部屋にいる大勢の人間の中で一番役に立たない人間だったことだろう。

アメリカで出産してもらうことは、自分の願望を汲んでもらった部分も多く、現地で医療を受けることの良し悪しあれど、コミュニケーションが大変であったり、親族との距離もある故に助けを得られず不安ばかりの中で、母子ともに健康という最大の結果をもたらしてくれた妻に感謝するしかない。