100: 中学校からやり直す
November 1, 2023
急に文を書くエネルギーを、在籍した研究室の先生の逝去の報から貰った。僕が公開情報から知ることを慮った先輩からの一報で知り、その後在籍者の中でも代表的な存在だった他の先輩からのメッセージで弔電に巻き込んでもらうことができた。ご冥福を祈っています。
先生から教わったことは少なくない。現在の自分の思考のやり方の基礎は先生の指導に依るところが大きい。結果として、ずっと悪くないソフトウェアの仕事に携わり続けられていることに寄与しているに違いなく、今でも時々感謝する瞬間がある。
しかし、時間が随分経ってから、恩師と呼ぶのも憚られるくらいには指導の過程での行き過ぎたコミュニケーション、今だったらまかり通らないパワーハラスメントにあたる行動、言動はずっと傷として残ったままとなった。当時は二度病院で診てもらうくらいには心身に何かが起こったのだが「こういうもの」とヘラヘラしてやり過ごしていた。院の入学式ののち、居室の机に向かった瞬間にあまりにどうしようもなくなってから逃げ出してしまったのは正しい判断だったと今になってやっと肯定できる。
今回の報は残念で仕方がない。良い機会を見つけて意地悪のひとつでも言って謝らせるなり、バツの悪い思いでもさせてやって個人間では精算してやらんでもないと思っていたらその機会も無くなってしまった。先生が残した多くの成果や育んだコミュニティはきっと素晴らしいものであったということは、いま見える多くのお悔やみの言葉からよくわかるが、その陰で理不尽に苦しんだ者は複雑な気持ちで取り残されている。
ここからどうにかして許していく処理をすると思うので、恥ずかしくも大事にしてきた感情を記録しておきたかった。僕がかつて bully な態度を取った相手にだって同様あるいはそれ以上に憎まれていることを覚悟して生きている。